狛犬の歴史を紐解く

狛犬ってそもそも何でしょう。

「狛犬というくらいだから“犬”でしょ」と答える方が大半だと思います。

では「狛」という字の意味は何でしょう。

辞書によると「古代朝鮮の一国、高句麗のこと」とあります。これだけ見ると「高句麗の犬」ということになりますが、狛犬の起源に遡って、狛犬とは何なのかを紐解いてみます。

●狛犬の起源は古代オリエントまで遡る

答えから言いますと、狛犬のルーツはライオン(獅子)です。

ライオンはかつてバルカン半島・アラビア半島からインド中部まで生息していました。

紀元前6000年頃、農業で栄えたチグリス・ユーフラテス川の沿岸で農耕神として崇められた「地母神像」には、畑を荒らす鹿や山犬を襲うライオンが両側に侍しています。

また、紀元前2500~1900年のシュメールの有翼女神像は、動物の中で一番強いライオン(獅子座)の上に女神が乗っていることで、ライオンよりも強い神であることを表現しています。

この強さの象徴であるライオンが王権と結びついて、神や王位の守護神として西方の国々に広まっていきました。

その好例が有名なエジプトのスフィンクスです。

●狛犬は仏教とともに日本に伝わる

日本には中国の唐の時代の獅子が、仏教とともに朝鮮半島から伝わりました。

明治神宮では、伝来の時期は示していませんが「日本人が異様な形をした生き物を犬と勘違いし、朝鮮から伝来したので高麗犬と呼ばれるようになった」との説を紹介しています。

飛鳥時代に伝来した頃は獅子で左右対称でした。

平安時代になってそれぞれ異なる外観を持つ獅子と狛犬の像が置かれるようになりました。

このように獅子・狛犬に変化したのは左右非対称(アシンメトリー)を好む日本文化特有の気風が関係し、獅子と釣り合う想像上の生き物として狛犬が出現したという説があります。

平安時代の「宇津保物語」には「大いなる白銀の狛犬四つ」に香炉を取り付け、宮中の御帳の四隅に置いて使われていたことが記されています。

また、「枕草子」「栄花物語」には調度品として「獅子」と「狛犬」の組み合わせが登場し、御簾や几帳を押さえるための重し(鎮子)として使われていたことが記されています。

●やがて宮中から神社へ

最初宮中において天皇の守護獣として定着した獅子・狛犬は、やがて天皇家と縁のある神社へ伝わり、やがて一般の神社へと広まっていきました。

神職で狛犬研究家だった上杉千郷氏は神社に神像を置くようになった事で狛犬が広まったと推察しています。

日本古来の神道はもともと形のある神を祀るわけではなかったのですが、仏教の影響により生き神としての天皇を模した神像が誕生します。

神像が設置されたことにより、宮中の守護獣像である獅子・狛犬が置かれるようになりました。

始めは宮中や神殿に置かれたため、木製あるいは金属製の狛犬が主流でしたが、参道に置かれるようになった江戸時代頃から石造りの狛犬が主流となりました。

この時に狛犬は庶民が奉納するものとなり、宮中から一般大衆の世界に降りてきて、その姿も多種多様なものとなりました。

このように百獣の王・ライオンは守護獣として西に伝わると王家のシンボルとなり、東へ伝わると『狛犬』へと見事な変身を遂げたのでした。

 

《参考》「狛犬」藤倉郁子著/Wikipedia「狛犬」/Website狛犬ネット